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株式会社リキフーヅ 〒125-0062 東京都葛飾区青戸8-7-16

お肉のことなら何でもお気軽にご相談ください

 

株式会社まるきん

代表取締役

楠田 裕志 様

 

 お客さまに感動してもらえるラーメンを提供し続けたい。少年のように目を輝かせながらお話いただいたのは、株式会社まるきんの楠田裕志社長。22年前に東京都港区にまるきんラーメン白金店をオープンさせ、今では首都圏に8店舗を展開されています。2016年3月にはアメリカ北西部のオレゴン州ポートランドに海外1号店をオープン。日本とアメリカを飛び回りながら、お客様に喜んでいただけるアイデアを常に考えられています。

 

 


相思相愛でなくちゃ

良い仕事はできない

 

 「リキフーヅさんと付き合いを始めてから、たしか20年くらいだと思います。開業当時は、別のお肉屋さんから豚骨を調達していたのですが、品質が良くないことが時々あって。それで紹介していただいたのがリキフーヅさんの先代の社長でした。もうダンディで、スーツなんかもかっこ良くて、とにかく人柄に惚れましたね。」

 

 「たまたま先代の社長が僕の大学の先輩だということもあって『兄貴』と呼んで慕っていました。もう15年くらい前のことですが、あるとき浅草に二人で飲みに行って『兄弟の契りをかわしましょう』なんて言って(笑)、その時の猪口をそれぞれ持ち帰りました。僕はいまだに、その猪口を大切に持っています。」

 

 先代も楠田社長の人柄に魅かれていて、公私にわたり長いお付き合いをさせていただきました。僕は、その関係を引き継いだことになります。

 

 「良質な豚骨を大量に、それも安定して仕入れるのは実はとても難しいのです。当時、毎日1トンくらい使っていたのですが、どうもスープの味が安定しなかった。そこでリキフーヅさんに切り替えたら、思い通りの味を出せるようになりました。」

 

 豚骨にはスープに適した部分とそうでない部分があり、スープに使える豚骨1トンは約250頭分に相当します。これだけの量を集めるのは容易ではないので、スープに適さない豚骨を混ぜて出荷してしまう業者も実際はあります。弊社の場合は自社工場で生産したり、それでも足りない場合は外部から集めたりして、絶対に欠品しないようにしていました。仮に欠品してしまいそうなことがあれば、価格の高いものを買ってでも納める。それくらいの意気込みでやってきました。

 

 「結局、ビジネスは人と人との繋がりでもありますよね。仕事に向き合う気持ちは伝わってきますし、僕はそういうものを大事にしたい。その意味で、相思相愛でないと良い仕事はできないのではないかと思います。中には、値段で動く人たちもいるでしょうけど、僕は動かない。いずれもっと安い価格を提示する人が現れて、その度に移っていたら失礼になると思うから。そういうことよりも中身を重視したいですね。」

 

 

困った時は

正直に話せるほうがいい

 

 「先代から太郎さんの代になったので、まるきんも協力してもっとリキフーヅさんを盛り上げたいなと思っています。でも、厳しいお願いをしたこともありましたね。例えば価格のことだったり。その時は正直にお話ししました。」

 

 昨年、僕が社長になって初めて楠田社長から相談を受けました。交渉や駆け引きをするのではなく、ストレートに「困っている」と言われたのです。正直、嬉しいことでもありました。過去には、相談なしに他の業者に切り替えられた経験もあったので、率直に話していただけることが信頼の証と改めて実感。何とかお手伝いできることはないかと奔走しました。

 

 「先代にも助けられたことが何度もありましたし、今度は太郎さんにも助けられた。僕は周りに恵まれているのですよ。」

 

 楠田社長は謙遜されますが「がんばろう」と思わせてくれる魅力があるのです。いわゆる社長然とはしていなく、自然体で肩肘張らないところが僕のお手本になっています。

 

 「従業員も友達みたいな感覚でいるかもしれません。僕自身も『社長』というのは苦手です。それが良いのか悪いのか、周りがしっかりしている。従業員もそうですし、仕事で出会う人達もそうです。たまたま運が良いだけですね、本当に。」

 

 「アメリカにお店を出せたのも周りが全部やってくれたから。ちょうど一ヶ月くらい前に、オレゴン州のポートランドという街に海外1号店を出店しました。ポートランドは日本でも話題になってきている街で、アメリカの中でも人気があります。巨大都市ではありませんが、大企業の本社がいくつもあったり、税金が安かったり。だけど何より人が良い街ですね。」

 

 「オープンして1ヶ月くらいですが、結構評判が良くて2店目の出店も決まっています。ポートランドでもラーメンは人気ですね。値段は1杯10ドル。アメリカでは高級品のラーメンが、週末は午前11時から午後9時までの営業時間に500杯以上売れています。本当にすごいですよ。お客さまのほとんどが地元の方で、日本人は意外と多くない。元々そこを狙い、アメリカの人たちに受け入れられるよう味づくりにはこだわりました。」

 

 「まだ始まったばかりだから先のことは分かりません。もしかしたらビギナーズラックかも知れません。だから調子に乗らないようにしないといけません。人間は、分かっていてもすぐに調子に乗ってしまうから。リキフーヅさんともゆくゆくはアメリカで仕事をしたいですね。」

 

 アメリカで生産できる仕組みを作り食材の調達までできたら、とアイデアが膨らんできます。やはり、夢をひろげてくれる社長はすごい。


 先代が築いた信頼を絶やさぬようこれからも頑張りますので、今後もご指導のほどよろしくお願いします。

 

取材:2016年4月18日

伊藤ハム株式会社

執行役員
食肉事業本部 国内食肉本部 本部長
食肉事業本部東日本担当


 野須 昭彦 様

 1980年にリキフーヅが創業して2年が経った頃、リキフーヅと現在の野須執行役員との出合いがありました。
当時、リキフーヅは千葉県松戸市に食肉処理場を持っておりました。そこで食肉処理した枝肉を買っていただいたのがご縁で、以来30数年もの長きに渡り、お付き合いをさせていただいています。今日は、僕の知らないリキフーヅのことも含めてお話をお聞きしました。

 

人の魅力に商売がついてくる時代だった

 

 「現在、リキフーヅさんとは当社の販売営業所からお買い上げ戴くものと、当社が豚カット肉を仕入する2つの商売をさせて頂いています。現状、その中核となっているのが、茨城県土浦市の食肉処理場に併設された加工場でカットしたお肉をスーパーマーケットに届けていただくというものです。」

 

 同社との取引のきっかけは、野須執行役員が伊藤ハムに入社した1982年より少し前にありました。

 

 「当時、先代の社長さまが三水会という食肉業界団体の要職についておられまして、食肉関係者としての繋がりで、お付き合いがスタートしたと聞いています。リキフーヅ創業前から当社幹部がお付き合いしており、創業する時に『当社の下妻の施設に枝肉を持ってきたら』ということで、初めての取引で豚枝肉を私が買わせていただいたのがご縁でした。それが1982年です。また当時は、リキフーヅさんは特に内臓の取り扱いが大変上手だったものですから、いろいろと勉強させて頂きました。」

 

 「先代は、いくつになってもイメージが変わらなかったですね。体の大きな方で、いつお会いしても歳を取らないなと。当社の食肉の幹部も大変気に入っていましてね。一時期、三郷のほうで『ホルモンリキ』という今で言えば「焼きとん屋」をやられていたときは、当社の幹部がよく出入りさせていただきました。」

 

 当時、確かに多くのお取引先にお越しいただきました。特に、伊藤ハムさんの先々代の社長がお見えになった時は大変驚きました。

 

 「そういうことは、中々ないですよね。本人に相当の魅力があったのだと思います。今思えば、40代で一番脂ののった時期でしたからね。元気な時代の流れもありましたし。」

 

 バブル手前という時代のなせる技があったとはいえ、皆さんが引退された後も、先代亡き今でも、事業の相談をさせていただいたり、お仕事をいただいたりと懇意にさせていただける。父が築いた人脈にしみじみと有り難さを感じます。

 

転機はいつでも訪れる
それを経営者としてどう乗り越えるのか

 

 「先代には、とにかく裏切らない商売をしていただきました。こちらの無理を聞いていただいたり、助けられたり、助けたりという仲でやってきました。私どものお願いを断ることはありませんでしたし、私どもも身の丈以上のことは求めず、できる範囲の中で、きちんとした商売に繋がればとの想いでお付き合いをしてきました。もちろん、人間のやる仕事ですから、時にはうまく行かない事もあったと思いますが、それでもベストを尽くしていただいた上でのことと納得できるものがありました。」

 

 持ちつ持たれつ。野須さんはさらりとおっしゃいますが、弊社がさまざまな試練を乗り越えられたのは他でもない野須さんのご尽力あってのことでした。

 

 「松戸市に経営されていた食肉処理場を周辺環境の変化から閉めざるを得なくなった時に『次のリキフーヅの屋台骨をどうするのか』と先代とずいぶん話し合いました。当社として将来の生鮮商品の流通を考えると、食肉処理場併設の加工場で処理された食肉を取り扱いする事が、私どもが商売を続けられる条件だということを厳しく伝えました。返答は二つ返事で『わかった』と。茨城県の土浦でやろうと思うから何とか支援をしてほしいと言われましたので、私どもも策を尽くしました。
土浦に移った当初は生体集荷も大変でしたが、二人であれやこれや策を講じ事業を続けて頂きました。」

 

 土浦にカット拠点を移したのが平成9年ですので、約20年前のことです。その頃、僕もリキフーヅの一員として仕事に携わってはいましたが、そんなことがあったとは知る由もありませんでした。

 

 「太郎さんの代になり環境も変わる中、リキフーヅさんがこれまで育てこられた主幹事業が今後も続くかというと、それは分かりません。私どもは相談にのったり出来る限りの支援は約束しますが、やはり太郎さんには経営者として社員とその家族を守る責務がありますので、きちんとした方向性を創ってほしいなと思います。先代がラーメンチェーンに豚骨の活路を見いだしたように、あらゆるところにアンテナを張って人脈を築いて、色々な業界の次の世代の方と情報交換できるようなネットワークを作っていただきたいですね。」

 

 なんとも骨身に染みるお言葉です。

 

 「先代は遊びの好きな方でしたよ。昔で言う“粋”な方でした。『野須さん、飯食いに行きましょう』って。それで、どこに行くのと聞くと『日本橋に火鍋がある』と。そういったところでお店の人に『うちの豚肉を買ってくれ』と言うんですよ(笑)。すごいなと思いました。先代の社長を思い出してみると、突き抜けた青空に浮かぶ白い雲のような人でした。ゆたーっとして、私どもはいつでも何でも頼みに行くことができました。みんながリキさん、リキさんと言って人を集める力のある人でした。」

 

 確かに先代は、遊びを仕事に繋げることにおいては卓越していたのではないかと思います。そんな先代が遺してくれた大切なパイプですから、時代に合った方向性を見いだしつつ、時には先輩方に相談させていただきながら、末永くお付き合いさせていただければと切に願っております。

取材:2016年6月1日

会社紹介

伊藤ハム株式会社  http://www.itoham.co.jp/